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上原琉翔の中学は野球部で投手!高校で13分台を叩き出した驚きの才能

箱根駅伝や出雲駅伝での快走が記憶に新しい、國學院大學の上原琉翔選手。

実は、中学時代は陸上部ではなく野球部に所属していたという異色の経歴の持ち主なのです。

沖縄の高校から全国の舞台へ羽ばたいた彼のルーツが気になりますよね。

当記事を読めば、上原琉翔選手の中学・高校時代の意外なエピソードと成長の軌跡を知ることができますよ!

上原琉翔の出身中学と高校!野球部だった?

仲井真中学校時代は野球部で投手を担当

那覇市立仲井真(なかいま)中学校に通っていた頃、上原琉翔選手が熱中していたのは、陸上ではなく野球でした。

ポジションはなんと、チームの要であるピッチャーとショート

運動神経が抜群で、当時の恩師によると「丸太を抱えて走る」というユニークかつハードなトレーニングを行い、強靭な足腰と体幹を鍛え上げていたそうです。

  • 中学の部活:野球部
  • ポジション:投手(ピッチャー)、遊撃手(ショート)
  • 特技:瞬発力が高い動き

野球部での練習は非常に厳しかったようですが、そこで培った基礎体力や瞬発力が、現在のラストスパートの強さにつながっているのかもしれませんね。

当時から走るのは速かったものの、陸上競技はあくまで「助っ人」としての参加でした。

陸上部のない学校だったため、駅伝大会の時期になると各部活動から足の速い生徒が集められ、その筆頭が上原選手だったのです。

野球で培った腕の振りとバネを武器に、中学時代からすでに全国大会で30位台に入る快挙を成し遂げていました。

今のダイナミックな走りの原点は、間違いなく中学時代の野球部での経験にあると言えるでしょう。

陸上部はなく「なんじぃAC」で練習

中学校に陸上部がなかった上原琉翔選手にとって、大きな転機となったのが「なんじぃAC」というクラブチームとの出会いです。

中学2年生で沖縄県代表に選ばれた際、コーチを務めていた濱崎達規さんに出会い、彼が立ち上げたこのクラブに参加するようになりました。

それまでは自己流で走っていた部分もあったかもしれませんが、専門的な指導を受けることで才能が一気に開花します。

  • 所属クラブ:なんじぃAC
  • 恩師:濱崎達規さん(元実業団選手)
  • 練習頻度:週に2回ほど

濱崎さんは、ご自身も箱根駅伝を走った経験を持つ実力者です。

そんなプロフェッショナルな方から直接指導を受け、「今の僕があるのは濱崎さんのおかげ」と上原選手自身も語るほど、信頼関係は厚いものでした。

週に2回ほどの練習でしたが、走ることの楽しさや奥深さを学び、メキメキとタイムを短縮させていきました。

陸上部がない環境でも腐ることなく、学校外の環境を自ら活かして成長していった行動力こそが、上原選手がトップランナーになれた大きな理由なのです。

上原琉翔の中学高校時代の進化と北山高校

駅伝強豪の北山高校で5000m県新

中学卒業後、上原琉翔選手は「沖縄最強世代」と呼ばれる仲間たちと共に、駅伝の名門である北山(ほくざん)高校へ進学しました。

入学当初は県外の強豪校とのレベルの差に圧倒され、自信を失いかけたこともあったそうです。

しかし、親元を離れての寮生活と、朝5時半からの朝練という厳しい環境が彼を強くしました。

特に高校3年生のときは圧巻の走りを見せます。

なんと、5000mで沖縄県の高校生として初めて13分台(13分56秒84)を記録したのです。

これは当時の沖縄県高校新記録であり、長らく破られていなかった壁を打ち破る歴史的な快挙でした。

「沖縄からでも全国で戦える」
その強い信念を持ち、遊びたい盛りの高校生活のすべてを陸上に捧げた上原選手。

高校入学時に野球部顧問から「陸上で勝負してみろ」と背中を押された選択が、間違いではなかったことを自らの走りで証明してみせました。

都大路には3年連続で出走を果たす

高校駅伝ランナーにとっての聖地、「都大路(全国高校駅伝)」。

上原琉翔選手は、北山高校のエースとして、なんと1年生から3年連続でこの大舞台を駆け抜けました。

しかも任されたのは、各校のエースが集う最重要区間の「1区」です。

1年時は全国のレベルの高さに苦しみましたが、学年が上がるごとに順位とタイムを縮め、チームの順位も押し上げていきました。

特に3年生の最後の都大路では、チームの最高順位を更新する走りで貢献し、やりきったという達成感を得たと語っています。

苦しい場面でもチームを引っ張る精神力は、この3年間の経験で養われたのでしょう。

「エース区間を3年間走り続ける」というプレッシャーは相当なものだったはずです。

しかし、その重圧を跳ね除け、沖縄県勢のレベルを一段階引き上げた功績は計り知れません。

この都大路での悔しさと喜びの両方が、大学駅伝での「強気な走り」の土台になっているのです。

中学高校の同級生・嘉数純平との絆

上原琉翔選手を語る上で欠かせないのが、中学・高校・大学と同じ道を歩んできたチームメイト、嘉数純平選手の存在です。

実は嘉数選手、中学時代はバスケットボール部に所属していました。

上原選手が野球部、嘉数選手がバスケ部と、お互い違うスポーツをしながらも、陸上の大会では顔を合わせるライバル兼仲間だったのです。

二人は揃って北山高校に進学し、厳しい寮生活を共に乗り越えました。

上原選手が明るくチームを引っ張る「ムードメーカー」なら、嘉数選手は背中で語る「職人肌」。

タイプは違いますが、「こいつとなら日本一を目指せる」と互いに認め合う、漫画のような熱い関係性です。

大学進学時も、先に國學院大學行きを決めていた上原選手がいたからこそ、嘉数選手も同じ道を選びました。

「沖縄の長距離界を盛り上げたい」という共通の夢を持つ二人の絆は、家族以上に深いものがあります。

彼らが襷(たすき)をつなぐ姿には、単なるチームメイト以上のドラマが詰まっているのです。

上原琉翔の中学は野球部で投手!高校で13分台を叩き出した驚きの才能:まとめ

上原琉翔選手は、仲井真中学校時代に野球部で培った身体能力と、クラブチームでの出会いをきっかけに陸上の才能を開花させました。

進学した北山高校では、沖縄県高校記録を更新するほどの急成長を遂げ、3年連続で都大路の1区を走るなど、名実ともに沖縄のエースとなりました。

そして、中学から苦楽を共にした嘉数選手との絆も、彼の強さの秘密です。

野球少年が沖縄の歴史を変えるランナーへと進化した物語を知ると、これからの走りがより一層楽しみになりますね。

「沖縄から世界へ」

上原琉翔選手の挑戦は、まだ始まったばかりです!