今までの日本の英語教育では、読む、書く、ばかりに重点が置かれ、聞く、話す、といった能力がおろそかになりがちでした。
そこでこれからは、「この4技能を測ります!」という名目でスタートしたのが英語民間試験の実施です。
しかし運営上のトラブルや準備不足が仇となり、英語民間試験の導入は延期されました。
これについて有識者が、雑誌週刊新潮で、CEFRという観点から独自の視点で問題点を暴いていました。
今回は、英語民間試験の根本的な問題点について語ろうと思います。
まずは、問題点の核となるキーワード「CEFR」について解説していきます。
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CEFRとは?
CEFRとは 、「外国語の学習・教授・評価のためのヨーロッパ言語共通参照枠」の略で、欧州評議会で使われている、英語を含む各言語の運用能力を図るための参照枠を指しています。
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これじゃあ意味不明ですよね。
別の言葉でいうと、ヨーロッパで使われる言語どれくらい使いこなせるか、その指標をランク付けする、ということです。
まだ分かりづらいですよね。
具体的に説明します。
EU圏内では、人々は自由に移動して仕事をします。
その時に、
英語はTOEFL〇〇点、
TOEICで〇〇点、
ドイツ語はOSDで〇〇点・・・
といった具合に、使える言語の能力を、別々の評価基準で表されても評価がしにくいですよね。
そこで生み出されたのが、CEFRです。
CEFRを用いれば、どんな言語であっても共通の尺度で言語能力を表せる、という特徴があります。
英語を例にとって説明します。
例えばAさんが、英文を読んだり書いたりすることはそこそこできるけど、聞いたり話したりすることはほぼ全くできない、といったレベルの人だとします。
4つの指標がそれぞれ異なっているため、本来なら「英語」という1つの尺度でAさんの英語レベルを表現することはできないわけです。
それを統一し、「英語のスキル」として表現できるようにしたのがCEFRなんですね。
噛み砕いていえば、CEFRとは、その人が持つ言語スキルを1つの尺度で表してしまおう、という評価基準のことです。
CEFRを指標にすることの危うさとは?
英語民間試験は、このCEFRを指標にして個人のレベルを決定します。
英語民間試験が延期されたことよりも、CEFRを指標にすること自体がよろしくないのではないか、と有識者は述べています。
ではなぜ、CEFRを指標にすると問題なのでしょうか?
有識者は以下のような意見を述べています。
『
「~ができる」というチェック項目を一つ一つ判別するCEFRの指標は、まさに人間のスペック管理の道具に見える。
ヨーロッパでCEFRが必要となったのは、移民や海外からの労働力とどう向き合うかが切実な問題だったからだ。
具体的な指標があれば、労働者のスペック管理は容易になる。
しかし、そうしたスペック管理の道具を、日本の中等教育の指標にすることは適切なのだろうか?
』
CEFRではもちろん、『話すスキルは流暢であればあるほど良い』ということになります。
ですが日本では、9割以上がの人が日常的にはほとんど英語を使っていません。
それなのに、CEFRを用いて英語レベルのランク付けをすると、 中高生を「できる」指標で管理することになり、産業の歯車のように扱われることも問題視されるのではないか?
と懸念しているのです。
英語を流暢に話せることは、「育ち」がものをいいます。
努力せずとも、潜在的な語学能力が高くなくても、一定の環境で育てば、流暢さは身につきます。
もう程度のものである『流暢さ』に重きを置くと、英語のネイティブスピーカーが、非ネイティブスピーカーよりも常に上位にランク付けされることになる、ということにつながってしまいます。
その辺りが問題なのではないか、と有識者は考えているのです。
英語民間試験に関する問題は、まだまだ山積みです。
2020年の実施は見送られましたが、2024年には実施される方向で調整が進められていきます。
様々な問題を解決に導き、日本の英語教育を根本的に見直すことが重要です。
英語に対する日本教育の取り組み方は、まだまだ発展途上といえそうですね。
今回は、英語民間試験は延期と、その根本的な問題点について述べました。
最後まで読んでくれてありがとうございます。