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【仙台育英】吉川陽大の両親の正体!サラブレッド投手を生んだ育て方

仙台育英のエースとして甲子園での活躍が期待される吉川陽大選手。

彼の目覚ましい活躍の裏には、アスリートであるご両親の存在が大きいようです。

この記事では、吉川陽大選手の両親がどのような方たちなのか、そして偉大な両親からどのような影響を受けているのかを、報道された情報を基に詳しく解説します。

当記事を読めば、吉川陽大選手の強さのルーツを知ることができますよ!

吉川陽大の両親はバレーボール界の伝説だった

父親は全日本女子を率いた名監督・吉川正博

吉川陽大選手の父親は、吉川正博さんという方です。

このお名前を聞いてピンと来た方は、かなりのバレーボールファンかもしれませんね。

正博さんは、なんとバレーボール女子日本代表の監督を務めたこともある、指導者のレジェンドなのです。

現役時代はNECでプレーし、引退後は指導者の道へ。

1997年にはNECレッドロケッツの監督に就任すると、チームを全日本選手権初優勝に導きました。

その優れた指導力が評価され、2001年には全日本女子チームの監督という大役に抜擢されます。

同年の国際大会「グラチャンバレー」では、見事に銅メダルを獲得するという素晴らしいスタートを切りました。

その後、再びNECレッドロケッツの監督に復帰し、Vリーグ優勝を達成。

最優秀監督賞にも輝いています。

現在は、バレーボール解説者として活躍する傍ら、未来のトップ選手を育てるため、親子向けのバレーボール教室などで情熱的な指導を続けているようです。

  • 元バレーボール女子日本代表監督
  • NECレッドロケッツをVリーグ優勝に導き「最優秀監督賞」受賞
  • 現在は解説者や子どもたちの指導者として活躍中

選手としても指導者としても、日本のバレーボール界に大きな足跡を残してきた正博さん。

まさに、トップアスリートを育て上げるプロフェッショナルだと言えるでしょう。

母親は「世界No.1リベロ」と呼ばれた津雲博子

父親が名監督なら、母親もまた、バレーボール界の歴史にその名を刻む伝説的な選手でした。

母親は、吉川博子(旧姓:津雲)さん。

現役時代は、「世界NO.1リベロ」と称賛された名プレーヤーです。

驚くことに、博子さんはもともとアタッカーとして活躍していました。

しかし、1990年代後半に守備専門のポジション「リベロ」が新しく導入されると、その才能が一気に開花します。

当時の全日本監督だった葛和伸元さんから声をかけられたことをきっかけに、なんと日本代表リベロ第1号に選ばれたのです。

それまで代表経験がなかった博子さんにとって、まさに人生を変える大きな転機となりました。

代表に選ばれてからの活躍は目覚ましく、1999年のワールドカップでは、サーブを受ける「ベストサーブレシーバー」と、スパイクを受ける「ベストレシーバー」の個人タイトルをダブルで獲得。

この偉業によって、世界中から「世界一のリベロ」と認められる存在になりました。

所属していたNECレッドロケッツでも、3度のVリーグ優勝に貢献するなど、チームの中心選手として輝かしい実績を残しています。

新しいルールが生んだ新しいスター選手、それが津雲博子さんだったのです。

吉川陽大の活躍を支える両親のDNAと教え

投手としての強さを支える母親の「平常心」の教え

吉川陽大選手のピッチングの魅力は、技術だけではありません。

どんな場面でも動じない、その強い精神力にも注目が集まっています。

その強靭なメンタルの土台には、母親である博子さんからの大切な教えがありました。

博子さんは、陽大さんが小さい頃から「常に平常心でやりなさい」と説いてきたそうです。

リベロというポジションは、たった一つのミスが失点に直結する、非常にプレッシャーのかかる役割です。

しかも、アタッカーのように攻撃でミスを挽回することもできません。

そんな厳しい世界で戦い抜いてきた博子さんの言葉だからこそ、何よりも重みがあるのでしょう。

この教えは、夏の宮城大会準々決勝、宿敵・東北高校との試合で見事に発揮されました。

1点リードの5回に逆転を許す苦しい展開になったものの、陽大選手は決して崩れませんでした。

その後、味方が再逆転してくれた直後の7回、1アウト二、三塁という絶体絶命のピンチを連続三振で切り抜けたのです。

この姿は、まさに「平常心」の賜物だと言えます。

  • 母・博子さんからの教え:「常に平常心でやりなさい」
  • 経験者だからこそわかる、メンタルコントロールの重要性。
  • 逆転されても、ピンチの場面でも、冷静な投球を貫く力に繋がっている。

世界一の守備を誇った母親から受け継いだ「平常心」という名の最強の武器が、マウンド上の吉川陽大選手を支えているのです。

父親譲りのDNA?投球に活きるバレーの動き

「野球は教えられない」と語っていたご両親ですが、吉川陽大選手のピッチングには、間違いなくバレーボールのDNAが活かされているようです。

陽大選手自身が、そのことについて興味深いコメントをしています。

それは、ピッチングの際に「手に当たる瞬間だけ力を入れる、バレーのアタックを意識してます」というものです。

バレーボールのスパイクは、腕をしなやかに振り、ボールを捉えるインパクトの瞬間に全ての力を爆発させます。

この力の伝え方は、野球のピッチングにおけるボールリリースと非常に似ているのかもしれません。

父親である正博さんは、元選手であり、数々の一流選手を育ててきた名指導者です。

家庭での何気ない会話や、テレビでバレーの試合を見ている時などに、力の入れ方や体の使い方に関するヒントが隠されていた可能性は十分に考えられます。

直接的な指導はなくても、父から子へと受け継がれる「アスリートの感覚」というものが、陽大選手の体には深く刻み込まれているのでしょう。

偉大なバレー選手だった父親から受け継いだDNAと、バレーボール特有の体の使い方が、他の誰にも真似できない吉川陽大選手オリジナルの投球フォームを生み出す秘訣になっているのかもしれませんね。

【仙台育英】吉川陽大の両親の正体!サラブレッド投手を生んだ育て方:まとめ

ここまで、仙台育英のエース・吉川陽大選手と、そのご両親について詳しく見てきました。

父は元日本代表監督の吉川正博さん、母は「世界No.1リベロ」と称された津雲博子さん。

吉川陽大選手は、まさにバレーボール界の伝説から生まれた最高のサラブレッドだということがお分かりいただけたと思います。

父親からはアスリートとしての優れた身体能力や感覚を、そして母親からはプレッシャーに打ち勝つ強靭な精神力を、それぞれ受け継いでいるようです。

ご両親から受け取った最高のギフトを野球というステージで存分に発揮し、彼はマウンドで輝きを放っています。

偉大な両親のDNAと教えを胸に、吉川陽大選手がこれからどんな活躍を見せてくれるのか、ますます目が離せませんね。