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南波雅俊の実家は?小学校や中学高校時代の意外な素顔も紹介!

南波雅俊さんの実家がある西東京市での幼少期から、高校野球、そして現在の活躍まで、その歩みには興味深いエピソードが満載です。

当記事を読めば、南波アナウンサーの経歴や人柄を形作った家庭環境やスポーツとの関わりを知ることができますよ!

南波雅俊の実家と幼少期の環境

南波雅俊の実家は西東京市にある

TBSのアナウンサーとして活躍している南波雅俊さんの実家は、東京都西東京市にあります。

西東京市は緑が豊かで治安の良い地域として知られています。

都心部へのアクセスも整っていて、子育て世帯に人気のエリアなのです。

南波さんは幼少期からこの地域で育ち、のびのびとした環境で過ごしたことがうかがえるでしょう。

一人っ子として育った南波さんにとって、この西東京市での生活環境は人格形成に大きな影響を与えたに違いありません。

具体的な住所や出身小学校については公開されていないようです。

ただ、南波さんは西東京市という住みやすい環境で育ったことが、現在の明るく親しみやすい人柄につながったのかもしれませんね。

このように、南波雅俊さんの原点は西東京市にある実家から始まっているのです。

南波雅俊の実家は経済的余裕あり?

南波雅俊さんが幼少期に多くの習い事をしていたことから、実家は経済的に余裕があったと考えられています。

絵画、少林寺拳法、水泳、サッカー、野球など、さまざまな習い事を同時期にこなしていたんですよ。

これらの習い事にかかる月謝は、絵画が3,000円~10,000円、少林寺拳法が3,000円~8,000円、水泳が3,000円~6,000円といった具合でした。

複数の習い事を同時に続けるには、相当な費用がかかるものです。

教育面でも私立学校への進学が見られました。

高校は偏差値71の名門・國學院大學久我山高等学校に通っていたのです。

入学金30万円に加え、年間授業料は約100万円ほどかかったと言われています。

大学も私立の立教大学法学部政治学科に進学し、こちらも入学金と授業料を合わせて年間約100万円の学費がかかったようです。

このように、南波さんの実家は子どもの教育に惜しみなく投資できるだけの経済的な余裕があった家庭だったと言えるでしょう。

南波雅俊の小学校時代と習い事

南波雅俊さんの小学校時代は、多彩な習い事に打ち込んだ活発な日々でした。

絵画、少林寺拳法、水泳、サッカー、野球といった様々な分野に挑戦していたんですよ。

特に野球は小学4年生から始め、最初は捕手を務めていました。

5年生からは投手に転向し、のちのスポーツアナウンサーとしての道につながる体験をしていったのです。

また、小学4年生の頃には、B’zとの運命的な出会いもありました。

南波さんのお母さんが車内でB’zのベストアルバム『B’z The Best “Pleasure”』を流していたことがきっかけで、稲葉浩志さんの歌声に魅了されたそうです。

「このアルバムで稲葉浩志の歌声を聞くたびに、自分にこんな声を出せないことが悔しい」と感じていたとのこと。

この出会いがのちに「B’zの南波アナ」として知られるきっかけとなったのは、とても興味深いエピソードですね。

南波さんが両親から「マサ」と呼ばれていたという話も残っています。

「雅俊」という名前には、「優雅」で「俊敏」な人になってほしいという両親の願いが込められていたそうです。

このように、南波雅俊さんの小学校時代は、多くの経験を通じて将来のアナウンサーとしての素養を育んだ大切な時期だったと言えるでしょう。

南波雅俊の中学時代の部活動

南波雅俊さんの中学時代は、情報が限られていますが、いくつかの興味深いエピソードが残っています。

提供された資料から明確な中学校名は確認できないものの、出身地の西東京市の中学校に通っていたと考えられるでしょう。

中学時代の部活動については詳細な記録はありませんが、少林寺拳法に取り組んでいた可能性があります。

少林寺拳法では全国大会で5位に入賞するという素晴らしい成績を残したという情報もあるんですよ。

また、中学校時代にB’zへの愛が深まったというエピソードも残っています。

帰宅後には雨戸を閉め切った自室で、B’zのライブDVDを見ながら、稲葉浩志さんのマネをして2時間ほど歌うことが日課になっていたそうです。

さらに、中学1年生の時には、先輩からの勧めで文化祭のカラオケ大会に参加。

B’zの『今夜月の見える丘に』を歌って優勝したことが、その後のカラオケ大会3連覇という実績につながりました。

このように、南波さんの中学時代は武道とB’zの歌まねを通じて、努力を重ねる姿勢や表現力を培った大切な時期だったと言えるでしょう。

南波雅俊の実家から始まる軌跡

南波雅俊の高校時代の野球人生

南波雅俊さんは高校時代、偏差値71の難関校として知られる國學院大學久我山高等学校に進学しました。

この高校はスポーツの名門としても有名で、南波さんは野球部に所属していたんですよ。

ポジションは投手で、右のサイドスローという独特の投球フォームを持っていました。

高校野球の世界では忘れられないエピソードがあります。

秋季東京都高等学校野球大会で、後に「ハンカチ王子」の愛称で親しまれる早稲田実業の斎藤佑樹投手と投げ合った経験があるのです。

試合自体は負けてしまったものの、南波さんは打者として斎藤投手から足を強襲するヒットを放つという快挙を成し遂げました。

南波さん自身が語るように、当時は「すべてを野球に注いでいた」そうです。

高校3年生の頃に出場した試合が実況中継されたことが、のちにアナウンサーを目指すきっかけになったという重要な転機もありました。

甲子園出場という夢は叶わなかったものの、この高校時代の野球経験は、南波さんのその後の人生に大きな影響を与えたと言えるでしょう。

南波雅俊の大学での進路選択

南波雅俊さんは一浪して立教大学法学部政治学科に進学しました。

高校時代は野球に打ち込んでいた南波さんですが、大学では野球部には入らなかったんですよ。

「1歳下の子と一緒に野球をやることに当時は抵抗があった」と本人が語っています。

代わりにラクロス部に所属し、新たなスポーツにも挑戦したそうです。

野球部に入らなかった選択は後に大きな転機となりました。

「後にその選択を悔いたからこそ、仕事で野球に携わりたい気持ちが強くなった」と南波さんは振り返っています。

そんな思いから、スポーツに関わる仕事を模索するようになったのです。

大学時代には、テレビ朝日アスクにも通学して実況アナウンサーとしての基礎を学んでいました。

さらに、ニッポン放送でアルバイトをし、ニュース原稿の整理業務に携わる経験も積んだそうです。

知人の勧めでフジテレビの『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』に参加するなど、メディアの世界への足がかりを着実に作っていきました。

「実況練習のために、野球場に行って一人で選手の動きを実況していた」というエピソードからは、アナウンサーになる夢に向けて地道に努力する姿がうかがえます。

このように、南波さんの大学時代は野球を諦めた悔しさをバネに、アナウンサーという新たな目標に向かって着実に歩んだ重要な時期だったと言えるでしょう。

南波雅俊がTBSに移籍した理由

南波雅俊さんは2020年10月、NHKから8年間勤めた後にTBSテレビへ移籍しました。

NHK大分放送局への在籍中に親交のあった大分放送の賎川寛人アナウンサーからの勧めがきっかけだったんですよ。

移籍の大きな理由は、野球の国際大会の実況を担当したいという強い思いでした。

「NHKでは多くの経験をさせてもらいましたが、WBCなどの国際大会で実況をしたいという思いが強くなりました」と南波さん自身が語っています。

TBSは特にWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の放送権を持ち、野球の国際大会の実況に力を入れている点が決め手になったのです。

また、DeNA戦のホームゲームを全試合中継していることも大きな魅力でした。

「地元の東京で腰を据えて働ける」という点も、転職の理由の一つだったようです。

南波さんはNHKで育ててもらった感謝の気持ちを持ちつつも、「TBSなら常に全国放送で勝負できる」と考え、新たな挑戦を決意しました。

「野球における最高峰の国際大会WBCもある。情熱を注げる新たな大舞台があるなら、思い切って挑戦しよう」という思いが背中を押したそうです。

この決断は間違いではありませんでした。

2023年には念願だったWBCの実況を担当し、アノンシスト賞「スポーツ実況部門」で優秀賞も受賞するなど、南波さんのキャリアは新たな高みへと進んでいるのです。

南波雅俊の実家は?小学校や中学高校時代の意外な素顔も紹介!:まとめ

TBSアナウンサー・南波雅俊さんの実家は、緑豊かな西東京市にあります。

一人っ子として育った南波さんは、幼少期から絵画や少林寺拳法、水泳、野球など多彩な習い事を経験。

実家の経済的余裕により、名門・國學院大學久我山高校や立教大学へと進学しました。

高校時代は野球部で投手を務め、「ハンカチ王子」斎藤佑樹投手とも対戦経験があります。

大学では野球部に入らなかった後悔から、スポーツに携わる仕事を志すようになりました。

2020年、8年間勤めたNHKからTBSへの移籍は、WBCなどの野球国際大会を実況したいという強い思いからでした。

南波雅俊さんの原点は西東京市の実家にあり、そこでの経験が現在の明るく親しみやすい人柄の礎となっているのです。