パリオリンピックで活躍が期待されるバレーボール女子日本代表の福留慧美選手。
彼女の強さの秘密を知りたいファンは多いでしょう。
特に、そのキャリアの原点である福留慧美選手の中学時代については、あまり情報が出ていません。
しかし、高校以降の輝かしい経歴やSNSでの発信を丁寧に見ていくと、彼女のルーツを推測することができます。
当記事を読めば、福留慧美選手の強さのルーツや、謎に包まれた中学時代から高校へと続く成長の物語を知ることができますよ!
福留慧美選手の中学時代は?輝かしい経歴の原点
福留慧美選手の出身中学は京都?有力な説を考察
福留慧美さんの出身中学校については、残念ながら公式には発表されていません。
そのため、多くのファンが「どこの中学校出身なんだろう?」と気になっているようです。
しかし、いくつかの情報を組み合わせることで、その答えを推測することは可能です。
最も有力な説は、京都府内の中学校を卒業されたというものです。
その大きな理由として、福留さんが進学した高校が、全国的な強豪校である「京都橘高校」であることが挙げられます。
京都橘高校は京都府京都市にある私立の高校です。
もちろん、全国から優秀な選手が集まる学校ではありますが、地元・京都の才能ある選手が進学するケースも非常に多いのですね。
実際に、ファンの方のSNS投稿でも「パリ五輪出場内定12人のうち、4人が京都出身!…福留慧美(京都橘高校から龍谷大)」とあり、福留さんが京都出身の選手として認識されていることがわかります。
また、福留さんご自身も、高校3年生の時にあたる2016年1月12日の投稿で、母校である京都橘高校のイベントを手伝い、「小・中学生可愛すぎた❤️」とポストしています。
地元の子どもたちと触れ合う機会があったことからも、地域との繋がりが深かったことがうかがえるでしょう。
京都はバレーボールがとても盛んな地域で、強豪と呼ばれる中学校も少なくありません。
そうした環境でバレーボールの基礎をみっちりと学び、実力をつけた福留さんが、同じ京都府内の強豪・京都橘高校へ進学した、と考えるのが自然な流れではないでしょうか。
これらの状況証拠から、福留慧美さんは京都府内の中学校で3年間を過ごし、バレーボール選手としての土台を築き上げた可能性が極めて高いと言えます。
中学時代からリベロ?ポジションの可能性を探る
福留慧美さんといえば、コートの守護神「リベロ」として有名です。
相手の強烈なスパイクに食らいつき、ボールを拾い上げる姿は、チームに安心感と勇気を与えます。
では、彼女はいつからこの守備のスペシャリストであるリベロとしてプレーしていたのでしょうか。
特に、身体も技術も大きく成長する中学時代のポジションは気になるところです。
この点についても正確な情報はありませんが、いくつかの可能性が考えられます。
一つは、中学時代からリベロとして専門的にプレーしていた可能性です。
リベロは、他のポジションとは異なる専門的な技術や、コート全体を見渡す広い視野、そして相手の攻撃を読む洞察力が求められます。
もし中学時代からその才能を見出されていたとしたら、早くから専門の指導を受けていたのかもしれません。
もう一つの可能性は、中学時代はスパイカーなど、他のポジションを経験していたというものです。
身長が伸びる時期である中学生の頃は、オールラウンドにプレーすることで、様々な技術を身につける選手も多いです。
例えば、スパイカーとしてプレーした経験は、「相手がどこに打ってくるか」という攻撃側の心理を読む力に繋がります。
これは、後にリベロとしてプレーする上で、とてつもなく大きな武器になるのです。
福留さんのディグ(スパイクレシーブ)は、ただボールに追いつくだけでなく、相手の動きや状況を冷静に判断し、落下点を的確に予測しているように見えます。
これは、中学時代から豊富な対人プレーの経験を積んできた証拠と言えるでしょう。
結論として、中学時代からリベロだったのか、あるいは他のポジションを経験して守備の重要性を学んだのかは断定できません。
しかし、現在の彼女のプレーの根幹をなす「ボールを決して落とさない」という強い意志と守備技術の基礎は、この多感な中学時代に間違いなく培われたものだと考えられます。
福留慧美選手が中学から強豪高校へ進んだ軌跡
バレーの名門・京都橘高校での目覚ましい活躍
謎に包まれた中学時代を経て、福留慧美さんの才能が全国レベルで大きく花開いたのは、進学先である京都橘高校での3年間でした。
京都橘高校は、春の高校バレー(春高バレー)全国大会の常連校として知られ、数多くの名選手を輩出しているバレーボールの名門です。
福留さん自身のSNSには、当時の充実した日々をうかがわせる投稿が残されています。
高校3年生だった2016年2月14日には、「京都橘バレー部引退しました😮!」という報告とともに、「いっぱい大変なこと辛いことあったけどそれを吹っ飛ばすぐらいの楽しいことおもしろいことがあった3年間でした😋 橘に入学して本当によかった。」と綴っています。
この言葉からは、日本一を目指す厳しい練習環境の中、かけがえのない仲間たちと共に目標へ向かって全力で駆け抜けた、濃密な時間だったことが伝わってきます。
また、チームとしても素晴らしい成果を残しており、春高バレーでは「ベスト応援賞」を受賞したこともあったようです。
選手だけでなく、応援団や学校全体が一体となって戦う素晴らしい雰囲気の中でプレーできた経験は、彼女の財産となっていることでしょう。
さらに驚くべきことに、当時のチームメイトには、同じく今回のパリオリンピック代表に選ばれた和田由紀子さんもいました。
非常にレベルの高い仲間と日々切磋琢磨できる環境が、福留さんを選手として、そして一人の人間として大きく成長させたことは想像に難くありません。
全国のトップレベルで戦うという厳しい経験は、彼女の技術はもちろん、どんなプレッシャーの中でも冷静さを失わない精神的な強さを育みました。
福留慧美さんにとって京都橘高校での3年間は、トップアスリートとしての礎を築いた、かけがえのない時間だったと言えるでしょう。
高校で磨かれた守備力とパリオリンピック選出
京都橘高校というバレーボールの名門で、全国のライバルたちと競い合いながら磨き上げた守備力。
それは、福留慧美さんにとって最大の武器となり、彼女を未来のオリンピック選手へと導く道筋を作りました。
高校卒業後は、関西の強豪・龍谷大学へ進学。
ここでもリベロとして活躍し、さらにプレーの精度と安定感を高めていきます。
そして大学卒業後は、V.LEAGUE DIVISION1 WOMENに所属する「デンソーエアリービーズ」に入団。
ついに日本のトップリーグでプレーする夢を叶えたのです。
Vリーグでも彼女の守備力は際立っており、相手エースの強烈なスパイクをいとも簡単に上げてしまう姿は、ファンや解説者から「勝利に導けるディグ」と高く評価されるようになりました。
こうしたひたむきな努力と実績が認められ、2024年、ついに彼女は夢の舞台であるパリオリンピックの日本代表メンバーに初めて選出されました。
選出後の会見では「(五輪は)テレビの中の大会だった…」と、信じられないといった表情で喜びを語っており、長年の努力が報われた瞬間でした。
今回の代表チームは、福留さんと小島満菜美さんという2人の優れたリベロを登録し、さらにリザーブにも守備の名手・山岸あかねさんを置くという「鉄壁の守備」で世界に挑む布陣です。
これは、眞鍋政義監督が、福留さんのような守備のスペシャリストの力をいかに重要視しているかの表れに他なりません。
高校時代からひたすらに磨き続けてきた一本のレシーブが、今や日本代表チームの勝利に絶対に欠かせないものとなっています。
京都橘高校で培った確かな技術と強い精神力は、大学、Vリーグというステージを経て、ついにオリンピックという最高の舞台で輝きを放とうとしているのです。
福留慧美の出身中学と高校は?経歴から辿る強さの原点!:まとめ
ここまで、パリオリンピック代表の福留慧美選手について、謎に包まれた中学時代を推測しながら、その輝かしいキャリアの原点を探ってきました。
彼女の出身中学は公表されていませんが、出身地や進学先の京都橘高校との繋がりから、京都府内の中学校でバレーボールの基礎を築いた可能性が非常に高いと考えられます。
中学時代にリベロだったのか、それとも他のポジションを経験したのかは定かではありません。
しかし、どちらの道を通ったにせよ、その後の彼女のプレーを見れば、当時から守備に対する並々ならぬ情熱と才能を持っていたことは明らかです。
そして、その才能は名門・京都橘高校で完全に開花し、大学、Vリーグを経て、ついにオリンピック代表という大きな夢を掴み取りました。
福留慧美さんのキャリアの原点は、ベールに包まれた中学時代にあり、そこで育まれた「ボールを絶対に落とさない」という純粋な気持ちが、彼女を世界の舞台へと導いたと言えるでしょう。
今後の彼女の活躍から、ますます目が離せません。